事故が起きた場合だけ騒ぎたてるようなマスコミの体質は改める必要がある。 原子力はイメージが悪い。一方、新エネルギーには明るいイメージがあるというアンバランスが生じている。マスコミの報道には言葉じりを悪く捉えたりセンセーショナルな部分が多いので、公正な立場で事実を報道して欲しい。そのために、わかりやすく説明し、タイムリーに情報を出せるようなエキスパート集団を作っていかなければならない。 メディアから流されている原子力に関する情報が分かりにくいのも問題である。一般の人々にとって分かりやすい報道の方法を検討すべきであり、また、情報の送り手が分かり易いブリーフィングや特別の教育を行うことが必要である。 正確な情報の提供は当然だが、世論を形成するマスコミは情報をきちんと伝達することも重要である。出し手、伝達者、受け手の3者とも改める必要がある。マスメディアの誤情報・誤報道に対し反論や反証していく姿勢が必要である。 メディアの報道量の調査によれば、20~30年程度の期間で比較すると、ネガティブな報道とそうでない報道はほとんど同量であった。人々はネガティブな情報に対しては強く反応し、いつまでも覚えているため、長い目で見ると、世の中の人はネガティブな印象だけを持ってしまう。 知識の量と原子力賛成反対の別との間には、相関はないと思う。知識がない人は、上位の権威者に判断を委ねることになるが、それでセンセーショナルな報道に左右されることになる。報道については、取材対象を最初に判断してから事態を見る。いかがわしいと思ったものに対して人々は怪しげな目をもって見るが、メディアはそれに合致した報道をする。大衆迎合であるが、それを支えるのは私達自身である。メディア批判は大衆批判である。 正確さについては分かるが、報道する側には価値判断がある。原子力については、特に事故があったときに重ねて報道するのはやむを得ない。マスコミには読者の啓蒙という役割もあるが、商売である以上、読者に対して迎合もする。マスコミだけに頼っていていいものか考えるべきであり、ミニコミ紙などの役割もあると考える。 報道は公平、正確でなければいけないが、最近は原子力を叩いておこうという傾向があるのではないか。正確さ、公平さという点については、原子力に限らず報道の点数は低くなっている。 原子力モニターの意見の中に、日本の原子力発電の抑制を主張する新聞が、KEDOに拠出金を出せと主張しているのは、矛盾ではないかというものがあった。我々はもっと広い視野で物事を考えなければならないと感じた。 IAEAでは通常運転と事故とに分けており、レベル4以上が事故である。日本では通常運転、異常行為、事故に分けており、異常行為を「事象」と言うようになった経緯がある。もんじゅの事故の際はこの事が問題になったが、これはマスコミが受け付けなかったためである。 外国ではやっていて、日本ではやっていない習慣がある。国が原子力発電所を認可した責任を果たすため、独自のチャンネルで直接国民に訴えていくことである。これをしていないことが、日本の原子力を特殊なものとしている。ただ、これができないのは、マスコミの性急さもあるのではないか。 |