1-2 原子力の位置付け

放射性廃棄物の処理や安全性の問題があるため、原子力には反対である。
原子力が化石燃料の代替にはなり得ず、現在運転中のものは安定的に運転すべきだが、増設拡大はすべきではない。政府のエネルギー需給見通しにおいて、原子力増設を前提としている点が問題である。
エネルギー源の多様化は必要である。ただしその多様化したエネルギー源の中に原子力エネルギーを含めるのかどうかと言う議論には賛否両論がある。原子力発電は、単に原子力のために存在するのではなく、あくまでエネルギー供給手段の選択肢の一つにすぎないと認識することが大切。
原子力の発電量でのシェアは維持すべきであり、エネルギー消費が増えれば増設していくべきである。原子力が地球温暖化に対しても有効であるのは明らかである。
原子力は日本の総電力供給の3分の1を担っており、供給安定性と二酸化炭素の排出量抑制に有効であるといった点から、原子力は長期にわたって我が国の基軸エネルギーであり続けることとなろう。
原子力発電の利用は、次のエネルギーへの過渡的な措置と考えるべきである。
原子力利用の可能性について、原点に立ち戻って議論する必要がある。
原油価格の低減に伴う計画見直しもあっていいのではないか。
プルサーマル計画やMOX、原発20機の増設などの計画は、猶予期間をおいて慎重に検討すべきである。また高速増殖炉は反対署名も集まっており、核不拡散上も問題なので見直すべきである。
原子力を始める時であれば、その是非を議論することも意味があるが、現実に電力の30数%を賄っている現時点では、むしろ安全を確保するためにどうすべきかの議論をすべき。
世界的な潮流から電気事業に関する規制緩和も避けられないと思うが、そのような環境でも原子力が経済的な競争力を持ち得るのか疑問だ。近年、欧州では原子力発電のコストが高いことが判明し、原子力発電所を推進しなくなっている国が増えている。規制緩和で生き残れないのであれば、エネルギーセキュリティー上も間違いだったということになる。
原子力技術は常に未熟との視点に立ち、その成熟を目指す努力が大切である。
原子力の必要性は認めるが、過去の政策体制の反省を行い、どの程度原子力に依存するか検討する必要がある。
原子力に対する反対派の人は、絶対反対なのか、それとも安全面などに関する条件付きで反対なのかを明確にする必要がある。
原子力発電への反対意見の根拠は、放射線に対する拒否反応なのではないか。例えば自然界にも放射線が存在していることや、少量の放射線は人間にとって必ずしも有害ではないということについて、正しい理解を広めなくてはならない。また、これからの原子力は、PA(Public Acceptance)から、PR(Public Requirement)、つまり人々が何を求めているかに対応する段階に入ったのではないか。
既存の世論調査結果(総理府、NHK)によれば、国民の原子力に対する容認率は下がりつつある。
マスコミ各社の世論調査では、事故後も原子力推進及び現状維持の割合は、それほど低下していない。一方、7割近い人達が不安を感じているのも事実であり、不安感が即原子力反対につながる訳でもない。
原子力の安全性については、東海村のアンケートによると、事故前では「安全まあまあ安全」という回答が過半数を占め、いわば「原子力は空気のごとし」といったような感覚が読みとれる。しかし、事故後は「危険」としている回答者が過半数を占め、はっきりと原子力を意識し始めていることが分かる。原子力推進についても、事故前は積極的な推進を支持する意見が多かったが、事故後は廃止を求める数が大きく増加している。今後の村での原子力の位置づけについては、村を「原子力安全のモデル自治体に」という冷静な意見が最も多いが、一方、村の重点課題として「安全な生活の確保」、「健康で健全な暮らし」が重視されるようになっている。
推進側は反対する人をどう説得するのか。原子力を推進する側の哲学が求められている。これはこれまで推進側が予想しなかったことだ。技術は哲学が先にあって発展するのではない。技術がある段階に来たとき、そこにどのような哲学を付与できるかが問題なのではないか。原子力がここまで大きくなって、推進側が、需要と供給の問題、反対派の意見を聴くこと、技術開発の進め方など、様々な課題に目を向けるようになったことは大変良いことではないかと思う。
火力発電所反対運動の中心的存在であった松下氏の著書に「暗闇の思想」があるが、都市に住む人達にとって、暗闇の思想を持ちつづけることは不可能であり、電気をぜいたくに使っている現実を踏まえ、原子力の問題を考える必要がある。
原子力の熱効率は30数%、火力発電は40数%であり廃熱の問題では大きな差はなく、また、廃熱と温暖化は直接関係ない。
原子力発電は、九州にとって果たしている役割は大きく、必要不可欠なものと考えている。もしも原子力発電による電力が無くなったら、九州の経済は大きな打撃を受けることとなるだろう。
原子力技術は、若い人が魅力を感じるような方向に持っていく必要がある。
原子力発電のハードウェア技術は確立され、それを運用管理するソフトウェア技術も確立している。
原子力基本法第一条には「原子力利用の推進」が唱われているが、そのような前提での議論はできない。このような法の改正も視野に入れるべきである。
日本でも世界でも、初期段階では原子力の光の部分が取り上げられていたが、最近は影の部分が取り上げられている。なぜそうなったのかの問い直しが必要である。
科学技術は一般にシーズが先行するものであるが、社会に普及していくためには、社会的なニーズについて十分な説明を行う必要があるということではないか。
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